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中原中也
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日本のランボー、中原中也
  2つの珠玉の詩集を残し、
短い生涯を閉じた中原中也

 中原中也は、明治40年(1907年)、現在の山口市湯田温泉に軍医の子として生まれた。小学校時代から短歌を新聞や雑誌に投稿し神童といわれたが、文学に熱中するあまり、地元の中学校を落第。転校した京都で恋人や友人らの影響を受け、詩人としての道を歩み始める。18 歳で上京し、小林秀雄、大岡昇平らと知り合い、昭和9年(1934年)、第1詩集「山羊の歌」を出版する。彫刻家高村光太郎の装幀によるはじめての詩集は評判となり、詩壇で認められるようになる。しかし、昭和12年(1937年)、結核性脳膜炎により、鎌倉で30年の短い生涯を閉じた。翌年、小林秀雄に託した第2詩集「在りし日の歌」が友人らの手で出版された。 没後、その叙情性豊かな作品の数々は多くの人々から愛され、日本を代表する近代詩人として、内外で高く評価されている。
 
 

中也がよくいった熊野神社

第1詩集「山羊の歌」

第2詩集「在りし日の歌 」

 

ふるさとの詩碑に刻まれた、
ふるさとへの深い思い

 中原中也は、16歳で湯田を出て以来、度々帰郷を繰り返している。作品がなかなか認められず、挫折を繰り返していた中也にとって、母がおり、懐かしい風景が広がる故郷は唯一こころ安らぐ場所だった。30歳の夏、再起をかけ帰郷を決断した矢先に病に倒れ、いのちの終わりを迎えた中也。心から愛した湯田温泉や近郊には、中也の詩碑が建てられている。生家に近い「高田公園」には、中也と深いかかわりのあった小林秀雄の筆による『帰郷』の一節。錦川通りには『童謡』を刻んだ詩碑がある。また、山口市郊外の小鯖にある鳴滝の入口には、『悲しき朝』。阿武川の名勝、長門峡には、愛息を失ったばかりの深い悲しみをあらわした『冬の長門峡』の詩碑が静かにたたずんでいる。

高田公園の詩碑

錦川通りの詩碑

名勝、長門峡

 

湯田温泉街の一角、生家跡に立つ「中原中也記念館」
 JR湯田温泉駅から歩いて10分ほどの地に「中原中也記念館」がある。かつて中也の生家、 中原医院があった場所で、前庭のどっしりとしたカイズカイブキが当時の面影を残している。中也の帽子をイメージしたユニークな外観の建物は設計案を公募。内部にも中也の詩のイメージがやわらかく表現されており、心地よく中也の世界に浸ることができる。この記念館がある湯田温泉は、山陽屈指の名湯として知られ、足湯めぐりなどの新しい楽しみも評判を呼んでいる。記念館や中也が眠る中原家の墓などゆかりの地を訪ねた折り、のんびり湯にひたりながら好きな詩を口ずさむのもいい。


中原中也記念館

記念館内部

湯田温泉街の足湯
   

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