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遣明船での中国行きをきっかけに、画聖雪舟は、忠実に中国風の山水画を描くことからの迷いから解放され、“ただ自分が思う風景の本質と精神を描けばよい”という境地に達した。益田に残した二つの名園にも型にはまらず、独自の画風を追求した雪舟の姿がうかがえる。医光寺の庭園は、ぐいぐいと見る者を引きつける雪舟の描く山水画の世界。一方、萬福寺の庭園は、多くの石を絶妙に配した伸びやかな印象で、仏教の世界観をあらわしている。この二つの庭園は、同じ人物が手がけたと思えないほど趣を異にする。見比べるとさらにその深さが感じられる。 |
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閑谷学校は、備前の名藩主池田光政が建てた藩営としては日本最古の庶民教育の学校。創学の精神もさることながら建造物としても素晴らしく、そのほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。建築の最大の特徴は、備前焼の屋根瓦を用いていること。炎の芸術といわれる備前焼の温かみのある色合いが、いかにも儒学の教育道場にふさわしい佇まいを醸し出している。また、学校の周囲には765mにも及ぶかまぼこ型の石塀がめぐらされ、全体とよく調和している。この閑谷学校には、頼山陽などの学者文人がたびたび足をとどめ、その評判を聞き、藩外からも勉学の意欲に燃える学生が数多く通ったという。 |
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萩焼は400年ほど前、毛利輝元が陶工の李勺光・李敬の兄弟を朝鮮出兵の際、連れ帰ったことに始まる。登り窯を使い、低い温度でゆっくりと焼くため、焼き締まりが少なく、ざっくりとした風合い。使い込むほどに、微細なひびを通して茶が染みこみ、器の味わいが微妙に変化する、いわゆる“萩の七化け”も魅力だ。萩焼は、明治までは御用窯となっていたため、一般の人は手にすることができなかった。その名品を「石井茶碗美術館」や「吉賀大眉記念館」「熊谷美術館」などで鑑賞することができる。李朝の流れをくむ古萩から日本独自の技法が融合した現代の逸品まで、萩焼の変遷をじっくりと堪能したい。 |
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三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)は、寺伝などによると706年に役行者が開いたといわれる。山岳仏教の霊場として古くから信仰を集めた。その象徴が国宝「投入堂」(なげいれどう)だ。平安時代の古建築・懸造りのお堂が三徳山の断崖の岩窟にはめ込まれたように立っており、その建造方法は現在でも謎のまま。役行者が法力で投げ入れて造ったという伝説が残っている。投入堂へは木の根を伝い、断崖を鎖で上るなど険しい道のりが続く。しかし、投入堂を目にしたときの感動は筆舌にしがたい。 |
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平成の架け替えを終えた「錦帯橋」は、今から330年余り前に造られた。歴代藩主の悲願であった“流されない橋”をめざし、第3代藩主が自ら設計に深く関わった。世界に誇る木組の技法を駆使し、橋台に築城技術を取り入れるなど数々の工夫がほどこされている。
周囲の景観との調和を重んじ、緩やかな曲線にもこだわっている。錦川に美しい姿を映すこの天下の名橋は、コンピュータのない時代の建築でありながら、“強さ”と“美しさ”のぎりぎりの境目を見事に保ち、専門家達を驚嘆させた。 |
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水戸の偕楽園、金沢の兼六園と並び、日本三名園に数えられる岡山後楽園。14年の歳月をかけ完成したこの大名庭園には、数々の斬新な手法が取り入れられている。たとえば、日本庭園としては珍しい広大な芝地。もとは砂地で苔が育ちにくかったため大量の芝を敷き、瀬戸内の明るい気候風土を巧みに表現している。その間をぬって、地下から汲み上げた清冽な水が園内をめぐり、池や滝などの美しい水の景観を造りだしている。この岡山後楽園は、築庭された約300年前の姿をほぼ残す日本で唯一の庭園であるという。その魅力をじっくり堪能したい |
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